2007年05月21日

3泊5日社員旅行の巻 番外

さて2日間の京都滞在を終えて京都三日目の朝。
この日は朝から土砂降りの雨。
オマケにゴールデンウィーク明けで人気の無い
昨日までの京都の観光地とは打って変わり
朝っぱらに行った銀閣寺では小学生、中学生、高校生入り混じっての修学旅行攻勢にあい、これはとても観光どころではないということで
午前の早いうちに京都を後にすることにした。

ここで少し余談だけれでも、修学旅行他、その他学校行事として行われている旅行ってどうなんだろうか?
自分自身、この手の旅行にはあまりいい思い出は無い気がする。
というか、いい思い出どころか、悪い印象が残る結果となってしまっている。

中学一年のときの学校登山。雨天決行で2800M近くある燕岳に登った。
土砂降りの雨の中、景色も糞もあったもんじゃない。御来光どころか
頂上にも登れずじまいだった。山小屋の前で取ったクラスの集合写真は霧にまみれて何も物語ることは無い。おまけに今思えば信じられないことだけれども、傘を差して登っている奴もいた。腹が減っても所定の場所に着くまでは食料を口にすることが出来なかった。そもそも登山を300人以上の団体で行うこと自体に無理がある。
こんな学校登山という行事があったため、俺はそれから10年近く、親父が山登りを好きにもかかわらず、登山というものを敬遠し続ける羽目になった。今思えばそれはとても悲しいことでその諸悪の根源は
学校登山という行事にあったと言い切りたい。

京都・奈良の修学旅行もそうだ。中・高校生で寺や庭なんかに興味がある奴は殆どいないと思われる。近頃は高校あたりの修学旅行で
沖縄なんかに行くところも増えているらしいが、どうしても学校で旅行がしたいならそれがベターだ。若者は若者らしく、青い空、青い海、好きな女の子の水着姿で楽しい思い出を作れば結構。
修学なんてする必要はないと思う。大体、修学とは自分の意思でするものだ。

とまあ、3泊4日の研修旅行は当初の予定では終わるはずだった。
だけど俺たちは京都を出て、そのまま初日に滞在した石川県の
小松市にトンボ帰りすることになった。

その理由というと、旅行記のその1で書いたが、小松で酒を飲んでいるときに友人の陶芸家が「予定さえ合えば、ロクロでも廻してから帰れば。」と俺と佐々木を工房に招待してくれたからだ。
俺は自分自身、陶芸をやってみたいという好奇心もさることながら、
佐々木にとって、とっても有意義な経験になると思って迷わず約束を取り付けたのである。

昼過ぎに小松に到着したんだけれども、先方の仕事の都合で
体が空くのが夕方以降になってしまうとの事で、取り合えず初日に
行けなくて涙をのんだ「松井秀喜ベースボールミュージアム」に
直行した。思っていたよりもまともな博物館で、入館料300円が
安く感じられた。まあ、わざわざこのために小松までいく必要はないと思われるが、近くまで来たのなら行ってみて損は無い。

そんなこんなで夕方5時半まで時間を潰して友人の工房に行くことになった。

この友人の陶芸家は、別に仕事上の付き合いがある訳でも無く、何回か小松に行くうちにいつの間にか仲良くなってしまった奴である。
年は俺よりも5つ上なんだけど別に何も気兼ねすることが無く、
俺は大好きだし、奴も行くたびに歓迎してくれる。
今回初めて工房を訪ねたんだけど、正直びっくりした。
俺は小さな工房でまあ、自分の気ままにロクロを廻してるんだろうな
とずっと思っていたんだけど、実際はそんなことは無く、
でかい工場で人を使って、普段は問屋などから発注された、製品としての焼き物を作っている。その傍ら、自分の職人としての作品を作り、個展を開いたりしている本当に立派な職人であったのだ。

一通り工場を見学して、焼き物の説明を受けたあと、
さあ、やってみようかという事でとりあえず親方がお手本を見せてくれた。ものの10秒ほどでお茶碗が完成する。3回お茶碗を作って見せてくれたけど全然手本になっていない。何をどうすれば良いのかわからないのである。そこで奴の一言。
「まあ、とりあえずやってみれば感じがつかめるよ。」
という訳でまずは佐々木が挑戦することになった。

ロクロの廻し方から始まり、土決めと言われるような事から
工程事に説明を受けてとりあえず佐々木の第1作目が誕生した。
昨日の晩、すき焼き屋で見た卵の殻入れのような物体が誕生した。

そして続いて俺もやってみた。一応、器にはなった。
が、我ながら用途不明である。
それでもお互いに一応器みたいな形にすることは出来た。

ここでお互い造りたい作品を決めることにした。
佐々木は湯のみ。俺は茶碗。

そしてもう一度親方のお手本を見せてもらい、
真剣に作品作りを開始した。

まずは佐々木が湯飲みを作り始めた。
失敗続きで土を無駄にし続けている佐々木に
俺と親方で茶々を入れていたら、真剣に彼が不機嫌になってきたので
とりあえず俺と親方はコンビニへビールを買いに行った。

帰ってくると失敗の粘土の山はさらにでかくなっていて、
ここでたまらず親方がアドバイスを入れる。
ここで一つ佐々木の職人としての気質が解かった。
佐々木は頭でとにかく考えて、考えて、理解して納得していく
タイプである。
ともあれ佐々木の深呼吸と、失敗した土の山、俺たちの飲んだビールの空き缶が限界に達した頃、佐々木の湯飲みが完成した。
ずぶの素人が作ったものだ。作品の良し悪しは言うまでもないが、
なんとなく、佐々木が作ったっぽい湯飲みになっていた。

時間を見るともう9時だ。佐々木の野郎は2時間もロクロと格闘していたわけだ。旅行は今日で終わり。明日の朝には待っているお客さんがいるのであまり長居も出来ない。俺は短期決戦で茶碗を作ることにした。

ロクロの前に座る。酒は入っていたが出来うる限り集中した。
ごうんごうんと廻るロクロの回転が心地よかった。
何とか感覚とイメージで造ってみるけれども、茶碗とは言いがたい
器が2つ完成する。ここで親方の助言が一つ入る。
さて、ここで帰りの運転は佐々木に任せるとして、最後の
気力を振り絞り、茶碗を真剣に作ってみた。
作品の出来はともかく、俺がつくったっぽい茶碗が2つできあがった。

初めての陶芸が終わって、俺と親方は最後に残ったビールを空けて
(佐々木は運転だからね)しばし談笑した。
どうだったと尋ねた親方に、俺と佐々木は「楽しかった」
と答えた。本当に楽しい時間だった。

「楽しい。」そう言えるのは俺も佐々木も陶芸というものが仕事ではないからだ。俺たちは初めて作る器に一喜一憂してただ純粋に楽しむことができた。
親方は違う。自分自身の作品を作って個展を開きもするが、
普段は問屋や顧客に頼まれた画一的な工業製品を一日に何百個と
作っている。それはやはり「楽しい」とは言えない。
もちろん、親方はそんな製品の中に自分自身の職人としての
思いを込める。
その仕事は「楽しい。」ではなくて、「面白い。」
そういうことなんだと思う。
少なくとも俺も親方もその辺の事は共通していると思う。

帰り際、これから乾燥させて、焼き上げた俺たちの作品を信州に送ってもらう話をしている際に、お茶が好きな俺は、それと一緒に親方が作った急須を一つ入れて欲しいとお願いした。
「もちろんお金は払うから」
そういう俺に親方は
「自分自身の作品としてはまだお金はもらう気は無いから。」
そう言った。

行く行くといいながら信州に遊びに全然来ない親方に、無理やり約束をこぎつけて、俺たちは工房を後にした。

今回、研修旅行の締めとしてとてもいい経験をさせてもらった。
佐々木にとっては特にそうだと思う。
同じ世代で(もっとも佐々木にとっては一回り近く年は離れているが)伝統と自分自身の考え方を大事にしている「職人」は確かにいて、その職人と一緒に時間が過ごせた事。
やはり、技術というものは一朝一夕にはいかない事。


家に帰ったのは日付が変わった1時半。
3泊5日の素敵な研修旅行だった。



posted by ノリ at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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